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AYTF Team JAPANの現場で何が起きているのか? という話



先日、 AYTF Team JAPAN の作品『RUNE LAND』https://fb.watch/9ga-1xEr5U/

出演のため、小心ズのケンノスキー Kennosuke Sagawaさんが来阪されたので、インタビューさせてもらいました。それこそ、幼稚園時代にさかのぼって根掘り葉掘りと。その間、Theatre Group GUMBOの 田村 佳代 さんの指導による練習風景を見ていていくつかの気づきがあったので、メモをしておきたい。


ケンノスキーさんは、GUMBOと同根のフランスの演劇理論ルコックシステムを学んでいる。高校演劇にも肌が合わず、大学の演劇科の授業でルコック学校の授業風景を写した一枚の写真を見たことをきっかけに、フランスのルコック学校へ飛び込み、2年間留学してしまう。それはエクソダスといっていいような、命の危機からの緊急避難だったのかもしれない。 ルコック学校は救済の地であり、ケンノスキーさんは自由な創造活動にひたるが、学校を卒業するとビザの壁があり帰国せざるをえなかった。失楽園だ。


その後、日本人の多くが知る演劇人の劇団で活動するのだけれど、再び違和感に襲われる。素晴らしい作家だったのだけれど、演出手法は演出家が指示し役者が従うという日本的なものだった。これは演出家個人だけの問題ではなく、役者はいかにうまく指示をこなすかが評価されるという、日本の演劇界の風土的問題。演劇界に限らないけど。 さらにその後、ケンノスキーさんは、海外の演劇文化を知る小心ズの Yanomi Shoshinz ヤノミさんと出会い今にいたる。ケンノスキーさんの個人史としては、第二のエクソダスなのでしょうが、それはここでは本題ではない。



ぐるっと話を巻き戻し、ケンノスキー個人史を頭にいれて、Team JAPANの練習風景を見ていると、ルコックの血脈が息づいていることに気づくのです。ルコックなのか、田村佳代さんの資質によるものなのか、おそらく両方なのだろうけれど、そこは創造のエナジーが絶えず吹き出る場となっている。

どういうことが行われている場だったのか、構造的に捉えてみます。 作品作りにおいて、テーマ(何を語りたいか)とコンセプト(どのように語りたいか)があり、テキスト(素材)として役者さんやアイディアが存在する。その間にコンテキスト(文脈)があって、演出家はコンテキストにテキストをあてはめて作品を作っていく。作品の準備段階でコンテキストは脚本という形で示される。ケンノスキーさんが経験し、息苦しさを感じてしまった(日本の)演劇文化では、コンテキストを現実化する作業が硬直化していたのでしょう。おそらくなんだけれど、カリカチュアして言えば、脚本が金科玉条となり、演出家が上意下達で神託を告げるようになっているのではないかな。





Team JAPANの現場では、融通無碍かつ本質を見失わないままに、実体が創造され、グレードアップしていくという、相当高度なことが行われていた。 場から生まれたアイディアを取り入れるというのは、多少気の利いた現場ならもちろんやっていると思うのだけれど、それが皮相的なレベルではなく、総体的なレベルで行われるというのは大きな違いがある。演出家に四次元的な視点がないと出来ないことです。脚本は一次元の世界なので、それを二次元に、三次元に展開するだけでも大変なこと。それをまだ完成していない未然形の未来から、今を振り返る四次元の世界で活動する。そんなことがTeam JAPANの現場では行われていたのです。 そこは、創造者にとってのアジール、解放区というしかない。





ケンノスキ Kennosuke Sagawa と、荒川紗有 Sayu Arakawa 本村采大朗 Ayataro Motomura 髙田理子 Liko Takada 宮坂野々 Nono Miyasaka が出演する『RUNE LAND』https://fb.watch/9ga-1xEr5U/ は、11月18日からはじまる Asian Youth Theatre Festival で配信されます。18才以下は無料。以上も1000円。ぜひ見て下さい。お申し込みはこちら。

世界のユースの作品一覧は、こちら。




蛇足的な話ですが、高度機能障害のある方が、この現場で創造活動をしていくにつれ、みるみる変化していっています。それは奇跡がおこったとかではなくて、ここでは個々の人間性そのものをテキストとしてコンテキストに取り入れる創造活動をしていることによるんじゃないかと思うのです。自らが肯定的に受け入れられ作品が生まれていく。その体験によって、コンテキストが破壊と創造を繰り返してできあがるだけじゃなくて、テキストも破壊と創造を受け入れて再生産されていく。そういうことが起きているのではないかな。障害というのが個人の内部ではなく外部にあるということを証明するような話でもありますね。

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